悲しみに寄り添うということ──アドラー心理学に学ぶ、安心という場所

2025.07.20

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「大丈夫ですよ」と笑ってくれる人の背中ほど、私はそっと触れたくなる。
 

それは言葉ではなく、“沈黙”が語るものがあるから。
本当は、誰かに迷惑をかけたくない。
心配をかけたくない。
だからこそ「大丈夫」と笑う。
 

でも、悲しみがないわけじゃない。
誰にも見せられないまま、ただ胸の奥に抱えているだけ。
 
 

アドラー心理学では、「人間は本質的に所属を求める存在」と言われています。
誰かの役に立ちたい。
嫌われたくない。
弱いと思われたくない。
そう思うあまり、“強く見せる”という仮面を被ってしまう。

でもそれは、本当の強さとは少し違う。

本当に強い人は、悲しみや弱さと出会い、向き合い、乗り越えてきた人たち。
ネガティブな感情をなかったことにするのではなく、
吐ける場所で、ちゃんと吐いてきたからこそ、また立ち上がれた。
 
 

セラピストの手は、そんな“光と影が共存する場所”にそっと寄り添うことができる存在。
アドラーが大切にした“共同体感覚”──
「自分はここにいていい」「つながっている」
という感覚は、肌のぬくもりを通してこそ育っていく。

言葉にしなくてもいい。
泣けなくてもいい。
泣いたっていい。
そのままのあなたで、ここにいていい。

その安心感があって、はじめて人は”本来の力”を発揮できる。
 
 

“癒し”とは、元気づけることだけじゃない。
一緒に、黙って座ることも。
「今日は泣けなくてもいいよ」と、ただそばにいることも。
 
 

アドラー心理学の中で語られるこの言葉は、施術にも深くつながっていると私は感じています。

悲しみは、時に言葉をなくします。
何も話せない沈黙の中に、でも確かにそこに「感情」がある。
セラピストが触れるという行為は、
その沈黙にそっと光を灯すことでもあるのです。
 

あるとき、いつも“鎧のように”硬かったクライアントさんの背中に触れた瞬間、
その日だけはまるで力を失ったように、柔らかかったのです。
愛犬を亡くされた直後のことでした。

手のひらから伝わる悲しみは、言葉では表せないほど静かで、深くて、
私自身が涙が溢れました。

そのとき私は、確信しました。
感情は、身体に宿るのだと。

──では、その悲しみにどう触れるべきなのか?

私がnoteで書いた内容では、
「支える・包む・許す」という施術テーマをもとに、
・安全な“無圧”での安心の土台作り
・首や頭への“深層圧”による神経のクールダウン
・部分的なコリのアプローチよりも施術全体を音楽のように作り上げるリズムの抑揚で、アプローチする設計を解説しています。

実際、悲しみを抱える方は「筋肉が硬い」とは限りません。
逆に、力が抜けて“ふにゃり”としていることもあります。

だからこそ必要なのは、施術の力加減だけではなく“空気感”の設計。
触れる前からすでにセラピーは始まっているんです。

セラピスト自身の呼吸・リズム・在り方が、その空間を“パワースポット”に変えていきます。
 
 
 
悲しみ=非・心

悲しみという感情の語源をたどると「非・心」──心じゃない状態を意味します。

・心じゃないものになってしまった感覚
・心がどこかへ行ってしまった感覚
・“心がここにいない”と感じる状態

感情なのに、感情が抜け落ちたような空洞感。
感じるもののはずなのに、何も感じられないあの感じ。
心が止まってしまったみたいな、冷たく静かな時間。

でも──
心が止まっても、身体はまだ生きている。

だからこそ、
“身体から心にアプローチ”していくことが必要なんです。

心が止まってしまっても身体の流れを整えれば
止まってしまった心も、また少しずつ動き出す。

そんなふうに、
身体と心は、互いに影響し合いながら、生きている。 
 

ポジティブな人ほど、本当は何度もネガティブと出会い、それを越えてきたからこそ、光を知っているんだと思う。

ネガティブを否定せず、吐き出せる場所があること。
光と影が共存していいと認められること。

自分の身体を通して、自分の本音に出会うこと。
そして抑え込み、隠してきた本音や感情を、拾い上げれたとき
「ありのままで生きる」
その安心感は本来の自分の力を発揮し、強さになる。

本音と出会うきっかけになる場所。
自分の弱さを受け入れ、努力を認め、強さを育むための休息の場所。
それがリラクゼーションサロン。
人が癒される場所。
 
 

この続きを知りたい方や、施術に活かしたい方には
有料note『【悲しみ編】身体は悲しみを知っている』で、もっと詳しく書いています。

記事はこちら → noteリンク

 
 

心の温度に合わせた、セルフケアの選び方
 

悲しみは“熱い”か“冷たい”か──

悲しみって、ひとくくりにされがちだけど
実はその“体温”は、人によって全く違う。

涙すら出ないような、冷えきった孤独。
どうしようもなくあふれ出す、熱を帯びた哀しみ。

私たちが向き合う感情には、「温度」がある。
だからこそ──
その温度に合わせたケアが、心と身体をそっと救ってくれることがある。
 

🔥 心が凍えているあなたへ──“あたためる”ケア

胸の奥が冷たい。
誰にも触れてもらえないような孤独感。
言葉が出てこなくて、ただ空っぽで…

そんなとき、目元を温めることで、ようやく涙がこぼれる。

「悲しみが流れるとき、心はまた呼吸をはじめる。」

• 目をそっと包むホットアイマスク
• 首をじんわり温める温熱パッド
• 柔らかな香りが広がるラベンダーのバスソルト
 

それは、どれも“言葉のいらない慰め”だった。

▶︎ 私が頼った「温熱アイテム」はこちら

 

❄️ 心が熱を持ちすぎたとき──“冷やして整える”ケア

感情が止まらない。
息が詰まりそうなほどに、泣いて、泣いて、泣いて…

でも、どこかで前を向かなければいけない。
その一瞬の“静けさ”が、暴れる気持ちにブレーキをかけてくれる。

「冷たさは、落ち着きという優しさになる。」

• おでこに貼る冷却シート
• 呼吸を整える瞑想アプリ
• 頭の熱を冷ますクールミントのヘッドスプレー
• 首をひんやり包む冷感ネックリング

熱くなった脳と心が、少しずつ冷めていく感覚──

▶︎ 私の“クールダウンセット”はこちら

 

冷たくなった心には、温かさを。
熱くなりすぎた心には、冷たさを。

どちらも、あなたを守るために存在している。
悲しみを超えた先で願いに届きますように。
 
 

心と身体がつながる、やさしい場所。
寝屋川のリラクゼーションサロン「BAKU・寝(バクネ)」では、
お一人おひとりの“今”に寄り添った施術をご提供しています。

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